印象派画家で、モネ、ルノワールやドガなどを他の印象派画家たちの仲をよく取り持ってまとめていたと言われるカミーユ・ピサロの作品「井戸端の若い女と子供」です。
印象派の代表的画家でもあるピサロですが、印象派の画風に対して物足りなさを感じていた時期があり、ポール・シニャックやジョルジュ・スーラに会い、点描画へと画風を変えた時期があります。
ちょうど本作品は、ピサロが印象派の画風に物足りなさを感じていた時期の作品で、点描画への移行期とも言える時期の作品です。
最終的にピサロは、点描画は制作に時間を要し、戸内での作業によるため自然の感覚が作品に反映されないため、印象派の画風への戻ります。
作品 井戸端の若い女と子供
本作品「井戸端と若い女と子供」は、ピサロが生活し多くの作品を制作したポントワーズからオニーという所に引っ越した時期の作品です。
「井戸端と若い女と子供」
(1882年)
作品の左に描かれている女性は、ピサロ家の家政婦、右に描かれているのはピサロの四男です。
また、背景は当時移り住んだばかりの、オニーの様子が描かれていると思われます。
二人とも青色の服を着ており、背景の緑と黄色のなかで強い印象を与えます。
人物をV字に配置して、寒色の青色で暖色の緑と黄色を囲むように配色しています。
分割筆跡による色彩の表現をする印象派の画風に物足りなさを感じていた頃のピサロは、より細かく筆跡をのこし陽の当たる家政婦や四男の描写をしているように見えます。
本作品制作後、シニャックやスーラと出会い、彼らが進めていた点描を知り、印象派よりも強く分割筆跡を行い作品を制作する点描へと画風を変えていきます。
「リンゴの収穫 エラニー」(ピサロによる点描作品)
(1888年)
点描画の代表的作品 「グランド・ジャット島の日曜日の午後」(ジョルジュ・スーラ)
(1884-1886年)
10年ほどピサロは点描画の制作に取り組みますが、点描画に対する絵画の買い手からの評価も低く、制作に非常に時間を要することからスーラの死とともに点描画からはなれ印象派の画風へと戻ります。
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