ポスト印象派の画家エミール・べルナールの作品「草地のブルターニュの女たち」は、くっきりした輪郭で二次元的な表現を行う総合主義(サンテティシスム)へのきっかけとなる作品とされています。
印象派の色彩を分割しようとする技法に反発し二次元性を強調した平坦な表現を行い単純化した表現をしようと試みをゴーギャンやベルナールは志向していました。
ベルナールは「草地のブルターニュの女たち」を制作、ベルナールと同様に印象派の表現と反対の表現を志向していたゴーギャンにこの作品を贈りゴーギャンはそれを参考に「説教の後の幻影:ヤコブと天使の争い」を制作、総合主義の先駆けとなりました。
作品:草地のブルターニュの女たち
フランスの最西端のブルターニュ地方の民族衣装を着てお祭りに参加している女性たちを描いています。
「草地のブルターニュの女たち」
(1888年)
ベルナールは対象物の質感、立体感を排除し太い輪郭線で囲んだ平坦な色面で対象物を描いています。
それまでの絵画表現にはない描写手法(輪郭をしっかりと描き遠近法を排除する)クロワゾニスムを積極的実験的に取り入れて描いています。
遠近感は、対象物の大小のみで表現し、人物それぞれに影はありません。右下に女性二人を頭だけ描く構図は、当時、非常に大胆な配置でありました。
こちらを向く女性の表情は、単純化された表現ですがお祭りを楽しんでいるのがわかります。
ベルナールは、同じ技法を志向していたゴーギャンに本作品を贈りました。
ポール・ゴーギャン 説教のあとの幻影:ヤコブと天使の争い
ベルナールの「草地のブルターニュの女たち」を見た、ゴーギャンは総合主義の可能性を確信、「説教のあとの幻影:ヤコブと天使の争い」を制作、発表します。
「説教の後の幻影:ヤコブと天使の争い」
(1888年)
ベルナールの「草地のブルターニュの女たち」の2~3週間後に、ゴーギャンがこの作品を発表したため盗作疑惑が起こり、ベルナールとゴーギャンの関係に亀裂を生じさせてしまいます。
フィンセント・ファン・ゴッホ ブルターニュの女たち
フィンセント・ファン・ゴッホは、ゴーギャンとベルナールとも交友がありました。
ゴーギャンをベルナールに紹介したのもゴッホでした。
ゴーギャンがベルナールから「草地のブルターニュの女たち」を贈られた際、ゴッホも同作品をみて水彩で模写しています。
「ブルターニュの女たち」
(1888年)
ベルナールは、ゴッホが亡くなった際に、葬儀に参列した数少ない画家の一人です。
コメント