近代化するパリの様子や人々を伝統的な絵画手法にとらわれずに描き、絵画の近代化のきっかけとなる作品を制作したフランスの画家、エドゥアール・マネの作品です。
マネは、革新的な作品を多く制作しますが、当時はまだ理解されず、特にキャリア初期のころは多くの批判をうけていました。
多くの批判に意気消沈していたマネは、フランスを離れスペインへ旅行しますが、そこでディエゴ・ベラスケスの作品に触れ、大きな衝撃を受けその後の作品にも影響を受けています。
ベラスケス 道化師パブロ・デ・ヴァリャドリード
マネはベラスケスを「画家の中の画家」と讃え、それは一生変わらなかったようです。
マネは、作品「オリンピア」への物議から逃れるためスペインへ旅行しますが、その際、ベラスケスの作品を鑑賞し、特に「道化師パブロ・デ・ヴァリャドリード」に衝撃を受けます。
「道化師パブロ・デ・ヴァリャドリード」
(1635年頃)
人物の背景は単純化され天井も床もなく、わずかに描かれている人の影で奥行きを表現しています。
マネは「背景が消え、空気だけが人物を包んでいる」と表現しています。
この作品から着想を得て、マネは「笛を吹く少年」を制作したとされています。
作品:笛を吹く少年
マネは、スペインから帰国後、ベラスケスの「道化師パブロ・デ・ヴァリャドリード」のように背景を消したような作品「笛を吹く少年」を描きました。
また、ベラスケスの作品の他、当時ジャパニズムとして注目されていた日本の浮世絵の手法も取り入れられていると言われています。
「笛を吹く少年」
(1866年)
ベラスケスの作品と同様に天井や床が描かれておらず、使用される色も限られて色数で描かれており単純化されています。
少年の顔は、簡潔に描かれています。
本作品はベラスケスの作品よりもより陰影をおさえ平坦なものとなっており、人物の顔も特徴を捉え簡潔に描いており、浮世絵の手法を取り入れていると考えられています。
また、少年の顔はマネの息子レオンをモデルとした言われています。
「剣を持つ少年」
(1861年)
息子レオンをモデルに描いた「剣を持つ少年」では床が描かれ、顔の表情も含めて緻密に描かれています。
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