17世紀のフランスを代表する画家二コラ・プッサンですが、画家としての活動はイタリアのローマでの活動が大半でした。
プッサンが活躍した時代は、バロック全盛の時代でしたがプッサンは明暗対比や人物や人物の動きを共著した描写は行わず、古典主義的な作品を制作しました。
プッサンは、ローマ建国にまつわる伝説「サビニの女たちの掠奪」を題材に作品を2バージョン制作しました。
「自画像」(二コラ・プッサン)
伝説:サビニの女たちの掠奪
古代ローマ建国当時、ローマ領域内の女性の数が極端に少なかった為、国を維持するため未婚の女性が必要となったローマは近隣に住むサビニ人から女性を掠奪しようと計画。
サビニ人は勇敢で誇り高い民族だったことから、ローマはサビニ人女性をターゲットとしたようで、サビニ人達を祭りに招くふりをして罠にかけ女性たちを掠奪した伝説が「サビニの女たちの掠奪」です。
屈強なローマ軍の若い兵士と多数の若い女性を描くことが可能なこの伝説は、多くの画家が題材としました。
ローマとサビニの間ではその後、戦争が起こりますが、既にローマ人の子供を産んだ女性たちが両者の仲裁にはいり、最終的にローマとサビニは一つの国家を形成します。
フランス新古典主義の巨匠ダーヴィッドはその場面を作品として残しています。
「サビニの女たち」(ジャック=ルイ・ダーヴィッド)
(1799年)
作品 サビニの女たちの掠奪
プッサンは、サビニの女たちの掠奪の場面を2バージョン描いています。
最初の作品1633-1634年に制作され、2作目は1637-1638年に制作されています。
「サビニの女たちの掠奪」(一作目)
(1633-1634年)
「サビニの女たちの掠奪」(二作目)
(1637-1638年)
一作目、二作目でともに画面左で高台でオレンジ色の服装の男性がローマの建国者ロームルスで、女性たちの掠奪の合図を兵士たちにおくっているところです。
一作目で十分な表現が出来なかったと思ったプッサンは、3年後に二作目を制作しました。
二作目は一部の人物は一作目と同じ描写となっているものの、人物もより多く描かれており、より混乱した状況が描かれています。また、建物もより詳細な描写となっています。
また、二作目は天気が悪くなってきている様子で描かれ、色合いも暗く描写されており、騒然とした様子がよく表現された作品とされています。
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