六大浮世絵師

浮世絵

見返り美人」の菱川師宣(ひしかわもろのぶ)から始まったとされる浮世絵。

その後、それぞれの一門を築きながらもさまざまな浮世絵師が誕生しました。名前が分かっているだけでも300人以上と言われています。

なかでも六大浮世絵師と言われている 鈴木春信、鳥居清長、喜多川歌磨、東洲斎写楽、葛飾北斎、歌川広重は有名です。

鈴木春信(1725~1770年)

多色摺りの浮世絵版画「錦絵」を生み出した絵師。

町の茶屋の看板娘を浮世絵に描き、絵に惹かれた人が茶屋に集まるなど浮世絵を宣伝媒体とした先駆けです。

江戸中期に細身で可憐な美人画を描き人気を得ました。

中納言朝忠(文読み)
(鈴木春信)

「中納言朝忠(文読み)」
鈴木春信

江戸中期に活躍し、生前は700点以上の作品を残しており、その後の浮世絵師にも大きな影響を与えています。

鳥居清長(1752~1815年)

役者絵をお家芸としていた江戸浮世絵の名門鳥居派の一門で、四代鳥居派宗家ともなっています。

役者絵の画派ですが、鳥居清長は手足が長くすらりとした八頭身の美人画を描き人気となります。

彼の描いた美人画は「江戸のヴィーナス」と呼ばれています。

美南見十二候 九月 漁火(いざよう月)
(鳥居清長)

「美南見十二候 九月 漁火(いざよう月)」
(鳥居清長)

現在の東京歌舞伎座の絵看板は鳥居派が描いています。

喜多川歌麿(1753~1806年)

版元の蔦屋重三郎に才能を見いだされ美人画を描き始めます。

鳥居清長の美人画の影響を受けながらも女性の上半身や顔を画面に大きく描いた大首絵を確立します。

ポッピンを吹く女
(喜多川歌麿)

「ポッピンを吹く女」
(喜多川歌麿)

人気の遊女から町娘まで美しい女性たちを多く描ぎ、彼の作品は「歌麿美人」とも呼ばれました。

東洲斎写楽(生没年不詳)

1794~1795年の約10ヵ月間に、版元 蔦屋重三郎のもと145点の浮世絵を発表。

その後、忽然と姿を消してしまった謎の絵師。

役者や力士絵など、デフォルメで描いた浮世絵が有名です。

市川鰕蔵の竹村定之進
(東洲斎写楽)

「市川鰕蔵の竹村定之進」
東洲斎写楽

葛飾北斎(1760~1849年)

遅咲きの40代後半から頭角を現し、90歳までの画家人生で3万点近い作品を制作。

浮世絵の世界に風景画というジャンルを確立し「冨獄三十六景」は世界的にも高い評価を受け有名です。

富嶽三十六景 凱風快晴(がいふうかいせい)
(葛飾北斎)

「富嶽三十六景 凱風快晴(がいふうかいせい)」
(葛飾北斎)

歌川広重(1797~1858年)

火消同心の家に生まれ、13歳以降は火消同心となります。15歳頃から歌川豊広の門下にはいり、火消同心と兼業します。37最後頃から完全に絵師として活動。「東海道五拾三次」が大ヒット、遠近法を駆使した風景画は、浮世絵の一大ジャンルとなり、その後、ゴッホなどにも影響を与えます

東海道五十三次之内 日本橋
(歌川広重)

「東海道五十三次之内 日本橋」
(歌川広重)

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