カラヴァッジョ派(カラバジェスキ)の代表的画家で、当時では珍しい女性画家のアルテミジア・ジェンティレンスキの代表作「ホロフェルネスの首を斬るユディット」です。
この題材は多くの画家に描かれた旧約聖書の「ユディット記」という話の一場面です。
カラヴァッジョを代表にバロック画家に多く描かれたようです。
アルテミジアは、カラヴァッジョの作品をもとにさらに迫力はる作品に仕上げています。
作品 ホロフェルネスの首を斬るユディット
「ホロフェルネスの首を斬るユディット」
(1620年頃)
ベトリアという町がアッシリア軍に包囲された際に、町の住人で未亡人のユディットが侍女とともに敵に乗り込み敵将のホロフェルネスを誘惑、酒を飲ませ寝込んだ際に首を斬る場面です。
アルミテジアは、カラヴァッジョの同名の作品を参考にして描いたと考えられています。
カラヴァッジョの「ホロフェルネスの首を斬るユディット」
(1598-1599年)
アルテミジアは、著名な画家となっていた父親のオラツィオ・ジェンティレスキに絵画を学びます。
オラツィオはカラヴァッジョととても親しく親交があり、カラヴァッジョから大きな影響を受けていました。
アルテミジアも父親を経由する形でカラヴァッジョの影響を受け、カラヴァッジョ派(カラバジェスキ)の代表的画家となっています。
ユディットの左腕のブレスレットにはローマ神話の女神ディアーナが描かれており、ディアーナのギリシア名はアルテミスであることから、作者がアルテミジアであることを示しています。
首を斬りに行くところと切り落とした後の作品
アルミテジアはユディットが侍女とホロフェルネスの首を斬りに行く場面と切り落とした後の場面も作品にしています。
アルミテジアは、最初にホロフェルネスの首を斬り落とした後の場面のユディットと侍女を描いています。
「ユディットとその侍女」
(1614-1620年)
その後、「ホロフェルネスの首を斬るユディット」を制作した3年ほど後に敵将の首を斬りに行くユディットと侍女を描いています。
「ユディットと侍女」
(1623-1625年)
ユディットと侍女が将軍ホロフェルネスの首を斬る場面や前後の場面のアルミテジアの作品はカラヴァッジョと比較してもとても迫力があります。
アルミテジアは、父親の弟子の画家に18歳の時にレイプをされてしまい、その復讐の意味を作品に込めているとも言われています。
アルミテジアは事件後、父親の配慮からも知名度の低い画家と結婚しローマからフィレンツェに移り画家ととして活躍します。
フィレンツェでは、メディチ家からの庇護もうけていたようです。また、ガリレオ・ガリレイとの手紙の交換が残っており交流をもっていたようで、女性画家としての地位を確立していたと思われます。
「絵画の女神としての自画像」
(1630年代)
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