1504年、レオナルド・ダ・ヴィンチはフィレンツェ共和国からその政庁であるヴェッキオ宮殿の会議室の壁画の作成の依頼を受けました。
同時に、反対側の壁に壁画を依頼されたのがミケランジェロでした。
ルネサンスの巨匠2人が同時に同じプロジェクに携わった最初と最後のプロジェクトとなりました。
しかし、2人の作品は未完に終わっています。
現在まで、2人の作品は、模写でしか当時の作品の様子はわかりませんが、レオナルドの作品は、現存の可能性が高いとされています。
アンギアーリの戦い
ルーベンスの「アンギアーリの戦い」模写
(1603年)
フィレンツェ共和国からの注文は「フィレンツェ史上、重要な勝利の場面」を描くことでした。
レオナルドは、1440年フィレンツェがミラノに勝利を収めた、アンギアーリの戦いを題材に選びました。
「アンギアーリの戦い」は、レオナルドの中でも最も大きな作品となる予定でしたが、技法の選択を間違え、作品の上半分の絵具が流れ落ち始めてしまい、完成を諦めてしまいます。
しかし、1512年頃まで制作途中の作品は壁画として残っていた為、多くの画家たちが模写しました。
もっとも有名なものがルーベンスの模写ですが、ルーベンスが模写した1603年には、すでに現物をみることができず、別の模写した版画をもとに模写したものです。
タヴォラ・ドーリア
「アンギアーリの戦い」の中央部分を描いたとされているタヴォラ・ドーリアです。
「アンギアーリの戦い」と同時代に作成され、レオナルド本人の作とも言われていますが、はっきりしていません。
タヴォラ・ドーリアは、1620年頃、ジェノヴァの貴族ドーリア侯爵の所蔵となり、3世紀にわたり所蔵されたことから「ドーリア家の板絵(タヴォラ)」という意味です。
現存の可能性
1555-1572年にかけて、宮殿の改修・拡張が行われ、レオナルドとミケランジェロの未完の大作は壁ごと失われたと考えられてきました。
しかし、当時から巨匠とされた2人の作品の上にさらに作品を描くことが考えにくいこと。
レオナルドとミケランジェロの作品の上に描かれたとされる、現存する「マルチャーノ・デッラ・キアーナの戦い」でフィレンツェ兵士が掲げる軍旗に「CERCA TROVA(「探せ、さすれば見つかる」)」と記載されていること。
上記の事から、X線やレーダーで調査が行われ、現存する壁の下にさらに壁が確認され、二重壁となっていることが判明、壁の間は1~3cmの空洞があり、レオナルドの作品が保存されている可能性が高くなっています。
「マルチャーノ・デッラ・キアーナの戦い」
「CERCA TROVA」と記載した旗は、からなり小さく描かれており、壁画の鑑賞だけでは、肉眼では見つけることが出来ないようです。
黄色の丸のところの多くの兵士の中に旗は記載されています。
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