近代絵画にとって重要な画家にエドゥアール・マネという画家がいます。
19世紀のフランスの画家で、革新的な作品を発表し、当時の画壇に大きなスキャンダル
を起こしましたが、印象派の画家たちの登場の土壌を作りました。
そのため、マネは印象派の先駆者・指導者との位置づけとの評価を受けている画家です。
作品でスキャンダルを起こす
当時の画壇は、国が主催するサロン(サロン・ド・パリ)へ作品を提出し入選することが、画家が成功する唯一の方法でした。
マネも1859年以降、サロンへの応募を続けていましたが、その革新的な画法から落選が続いていました。
また、当時のサロンでの入選も狭き門(入選は、約3割であった)であったため、
落選者の不満も大きくなってきており、1863年に当時の皇帝 ナポレオン3世の号令のもと「落選展」が開催され、マネもサロンで落選した作品を提出します。
この作品が、最初のスキャンダルを起こします。
下記が、応募作品「草上の昼食」です。現在では、何が問題なのかわかりません。
当時の西洋絵画作品では、裸体の女性は、神話や宗教、歴史上の出来事を描いた作品に登場するのみで、対象は、神話や宗教上で登場する人物とされていたため、現実の女性の裸体が描かれたマネの作品は、当時の社会に衝撃を与え、大批判されました。
(作品の左下にピクニックの持ち物とともに、女性が脱いだ服を描写することで、現実の女性と、すぐに判断できるようにしています。)
しかし、マネは、単純に裸体の女性を描いたのではなく、歴史画の古典作品の中からモデルを選び、作品を制作しています。
マネは、この作品で、大批判を受けますが、さらに挑戦を続けます。
1865年、マネは「オリンピア」という作品をサロンへ提出します。
この作品は、先の「草上の昼食」以上の批判を受けます。
(作品自体は、サロンに入選しています。)
「オランピア」と言う名は、当時の娼婦の通称だった事。
首に巻いたひも、サンダルは明らかに現実の女性、特に娼婦を表している事。
足元の黒猫は女性の陰部の表現である事。
上記のことなどから、この作品は、当時の社会には、大きな衝撃があったようです。
(このような形で娼婦を描く事により、当時のフランスの上流階級の暗部を
表したと言われてます。)
この作品も構図は、古典作品を引用しています。
「オランピア」に対する社会の批判に、さすがのマネも意気消沈したようで、この後、スペインへ旅行へ出てしまいました。
印象派との関係
当時、描写がタブーとされた現実の女性の裸体の描写は、古典的描写から脱しようとしていた、若い画家(その後、印象派となる画家)たちに、高く評価されます。
2点の作品でスキャンダルを起こしていたマネの周りにっは、若手の芸術家達が集まるようになっており、ドガ、モネ、ルノワールなどとも交友を持つようになります。
マネの作品は印象派の画家たちへ影響を与えましたが、マネはあくまで、古典的な背景(神話、歴史の描写)を基礎に作品を制作し、サロンへの出展、入選を第一とし、印象派とは距離を置いた活動をしていました。(印象派展には、一度も参加しませんでした。)
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