印象派の画家で唯一、第1回から第8回の全印象派展に参加した画家カミーユ・ピサロが、後に「近代絵画の父」とも呼ばれるポール・セザンヌを描いた肖像画です。
セザンヌも当初、印象派として活動していましたが、独自の様式を探求するようになり、印象派を離れます。
セザンヌの独自の様式は、その後のいろいろな角度からみたものを一つの画面に描くというピカソなどのキュビズムへ大きな影響を与えました。
ピサロは当時デンマーク領だったセント・トーマス島出身でセザンヌは南フランスの出身のためパリの美術界での疎外感から親交をもったとも言われています。
カミーユ・ピサロ
作品 セザンヌの肖像
「セザンヌの肖像」
(1874年)
ピサロは、普仏戦争でパリからロンドンに避難したのち、戦後1872年からフランス中央部のポントワーズという町に住み作品の制作をしていました。
ポントワーズにはゴーギャンやセザンヌなどの画家たちも集まってきてピサロを中心にお互い影響を与え合っていたようです。
その際、ピサロはセザンヌの才能を認め、セザンヌもピサロを尊敬し互いにイーゼルを並べ、作品制作をする仲になったようです。
ピサロは、コローやクールベの影響も受けており、セザンヌの後ろにはクールベが描かれています。
少しデフォルメされたイメージで描かれています。
作品のセザンヌの後ろの画中画は、首相や大統領を務めたアドルフ・ティエールが描かれていると言われています。
クルーべは反体制派として活動して最終的に亡命しており、体制派と反体制派を描いた画中画をセザンヌの後ろに描いています。
これは、政治体制に関わらず、セザンヌの才能は認められるべきとの意味があると表現しているように思えます。
右下の画中画作は、ピサロの作品と言われています。
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