アルジャントゥイユとはパリ北西10kmほどのセーヌ河沿いの地域で、パリと鉄道で結ばれたことからパリ市民の行楽地として利用され、多くのパリ市民が訪れていました。
モネは、エドゥアール・マネの援助もありアルジャントゥイユに1871年12月~1878年1月まで滞在、170点ほどの作品を制作しています。
170点ほどの作品の約半数以上がセーヌ河や周辺を描いた作品となっており、モネが最も興味を持ち、表現しようとしていた水面に映る光の移り変わりを描くのに適した場所だったようです。
本作品「花咲く堤 アルジャントゥイユ」はモネがアルジャントゥイユで制作した作品の最後のうちの1点とされています。
作品 花咲く堤 アルジャントゥイユ
クロード・モネが約7年間を過ごしたアルジャントゥイユでの最後に制作した作品のうちの1点とされています。
「花咲く堤 アルジャントゥイユ」
(1877年)
モネがアルジャントゥイユに住み始めた当時、パリ市民の行楽地として多くのパリ市民が訪れていたアルジャントゥイユにも産業化が進むにつれ多くの工場が進出し町の様子も変貌していったようです。
本作品では画面前面にダリアの花が咲く草むらを配置、画面後方に煙を吐く工場を描いています。
画面前面と後方で自然と産業化を対比しているようです。
アルジャントゥイユにはダリアがよく咲いていたようで、モネ自身が描いたモネの自宅の庭にもダリアの群生があり、作品にしています。
(参考)「アルジャントゥイユのモネの家の庭(ダリアの咲く庭)」
(1873年)
コメント