フィンセント・ファン・ゴッホは、人生最後の2ヵ月間をパリ郊外のオーヴェル=シュル=オワーズに滞在しました。
ゴッホは画家仲間のカミーユ・ピサロに紹介された精神科医ポール・ガシェを頼って、1890年5月にオーヴェル=シュル=オワーズに来ました。
その地でゴッホは宿泊代は安いことからラヴー旅館の屋根裏部屋に泊まることとし、最後の2ヵ月間をすごしました。
オーヴェル=シュル=オワーズでゴッホは、多くの作品を制作しますが、ラヴー家の娘アデリーヌ・ラヴーの肖像も制作しています。
3枚のアデリーヌ・ラヴーの肖像
ラヴー旅館に滞在し始めてすぐにゴッホは旅館の娘アデリーヌ・ラブーの肖像を3枚制作しています。
3枚とも6月の制作で、「医師ガシェの肖像」と同月の制作ですが、ゴッホ最後の肖像画とも考えられています。
「アデリーヌ・ラヴーの肖像」
(1890年6月)
ラヴー旅館とオーヴエル
ラヴー旅館は、現在ものこっており博物館として観光名所となっています。また、ゴッホが滞在していた部屋も復元され多くの人が訪れているようです。
オーヴェル=シュル=オワーズはパリ近郊ということでゴッホ以外にもコローやピサロ、セザンヌなど多くの画家が訪れています。
ゴッホはオーヴエル滞在の2ヵ月間で70点以上の作品を制作、1日1作品に近い制作でした。
特に麦畑を題材にした作品を多く制作しており、「カラスのいる麦畑」は有名な作品となっています。
「荒れ模様のオーヴエルの麦畑」
(1890年7月)
「カラスのいる麦畑」
(1890年7月)
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