フィンセント・ファン・ゴッホが精神を患いフランス南部のサン=レミ=ド=プロヴァンスで療養していた時期に描いた作品です。
「ひまわり」同様に糸杉はゴッホが描いた題材でも多くの作品となっている物です。
南仏アルルで夢に満ちていた時期に描いたひまわりに代わり、糸杉は人生の後半期で多く描くようになりました。
そのため、糸杉はゴッホの死への意識が反映されていると考えられています。
本作品は、「夜のプロヴァンスの田舎道」とも呼ばれています。
作品 糸杉と星の見える道
「糸杉と星が見える道」
(1890年)
作品中央に大きく夜空に伸びる糸杉が描かれています。
ゴッホは糸杉を死に対する象徴的な物として、多くの作品を描いていたのではないかと考えられています。
糸杉によって左右に分けられた夜空には右に三日月、左に金星と水星が描かれているとされています。
死の象徴として描いた糸杉によって暗い三日月と光り輝く金星が対比されているのかもしれません。
実際に三日月、金星と水星が並んぶ天体現象があったことが分かっており、ゴッホはその現象を記憶しており、作品に描いたようです。
糸杉の下には曲がりくねったような道と旅人、馬車、休憩小屋のような家屋が描かれています。
曲がりくねった道は自身の人生を表現しているとされ、旅人はゴッホが求めてつつも作ることができなかった仲間や友人を表現しているのではないかと考えれれています。
家屋は当時、ゴッホが滞在していた南フランスの家屋ではなく、出身地のオランダ風のため、家屋と馬車はゴッホが出身地からフランスへ出てきたことを表現しているのかもしれません。
そして、その道(人生)や家屋、馬車(出身地)、旅人(仲間や友人)はすべては糸杉のもとにあるという表現がされているようです。
ゴーギャンの「オリーブ山のキリスト」
1890年6月にゴッホはアルルで2ヵ月だけ共同生活をしたのち、自らのもとを去ったゴーギャンに本作品についての手紙を書いています。
ゴーギャンは「オリーブ山のキリスト」という作品を前年の1889年に発表しています。
「オリーブ山のキリスト」
(1889年)
ゴッホは手紙で、「糸杉と星の見える道」はゴーギャンの「オリーブ山のキリスト」と同様に苦闘と不屈を題材に描いたと記しています。
コメント