エドゥアール・マネの弟ウジエーヌ・マネとベルト・モリゾの娘で、両親や叔父のマネの他、両親の友人達である印象派の画家達のモデルとなった女性です。
両親が亡くなった後、友人のルノワールやドガが彼女を支援しています。
1987年に彼女の10代のころの日記が見つかり、当時の印象派の画家達の生活や素顔がわかる貴重な資料となっています。
叔父 エドゥアール・マネが描いたジュリー・マネ
叔父のエドゥアール・マネが描いたジュリー・マネ
「じょうろの上に座るジュリー・マネ」
(1882年)
この作品の翌年にエドゥアール・マネは亡くなっています。
母親 ベルト・モリゾが描いたジュリー・マネ
ベルト・モリゾは、母親が娘の成長過程を記録するかのようにジュリー・マリーをモデルに多くの作品をのこしています。
「庭のウジェーヌ・マネと娘」
(1883年)
「マンドリンを弾くジュリー」
(1889年)
「ジュリー・マネと彼女の犬」
(1893年)
1892年に父親のウジェーヌ・マネが亡くなります。ジュリーが13歳の頃です。
モリゾは、ジュリーにショックを与えないため、娘を姉にあずけ埋葬にも立ち会わすことをしなかったと言われています。
作品「ジュリー・マネと彼女の犬」では、ジュリーは黒のドレスを着ており、喪中だということが分かります。
作品「ジュリー・マネと彼女の犬」の2年後の1895年モリゾはインフルエンザで亡くなります。
モリゾは自身の最後にもジュリーを立ち会わせることをしなかったようです。
モリゾは娘のことを友人たちに託し、友人たちもジュリーを支援しました。
ルノワールが描いたジュリー・マネ
ルノワールは、マネ・モリゾ夫妻とは家族ぐるみで仲がよく、夫妻の家にもよく訪れていました。
その際、娘のジュリーをモデルに作品を何点か制作しています。
「ジュリー・マネ(猫を抱く子供)」
(1887年)
「ベルト・モリゾと娘ジュリー・マネの肖像」
(1894年)
夫を亡くした後、モリゾがルノワールに娘の肖像を描いて欲しいと依頼した際、ルノワールはモリゾも一緒に描きました。
「ジュリー・マネの肖像」
(1894年)
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