印象派創設にも関わり印象派の画家とされていることが多いエドガー・ドガですが、本人はデッサンを重視し自分は写実主義だと言っており、自身が印象派であるとの認識は持っていませんでした。
戸外で光の描写などを描いた印象派に対して、ドガは室内のバレリーナをモデルにした作品を多く制作しており、作品の半数以上はバレエに関する作品です。
また、作品の多くは、バレエの稽古風景や本番前に準備する様子など彼女たちの舞台裏での普段の様子を描いています。
作品:ダンス教室(バレエのレッスン)
エドガー・ドガは、パリの銀行家の裕福な家庭で育ち、バレエを好みオペラ座の定期会員となっていました。
会員は、一般人が入ることが出来ない楽屋や稽古場に自由に入ることが許されており、ドガは、楽屋や稽古場の踊り子たちを多く作品ににしています。
「バレエのレッスン(ダンス教室)」
(1874年)
中央で踊り子たちを指導している男性は、ジュール・ペローという当時のフランスバレエ界の大スターで、ロシアでバレエ監督も務めました。
ドガとも友人だったようです。
一方、踊り子たちは、あまり真剣に指導を聞いている様子はなく、ピアノの上に腰かけ、背中をかいている子もいます。
奥の踊り子たちは、談笑したりして緊張感は感じられません。
足元の犬や埃が舞うのを防ぐために水を撒くじょうろなど細かいところまで忠実に描写しています。
アトリエでの制作
ドガは、他の印象派の画家と違い、戸外制作をすることはありませんでした。
踊り子を描くにも、アトリエにモデルを招いて、何枚もデッサンをして作品を制作をしていました。
ドガは、古典主義のアングルを尊敬しており、アングルの弟子にも師事しいます。
一般的に印象派の画家とされていますが、ドガの画風や作品の制作過程の基盤は古典主義にあります。
また、ドガは戦争に従軍した際に目の病にかかり、戸外制作がままならなくなったのも戸外制作をしなかった原因となっています。
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