フィンセント・ファン・ゴッホが南フランスのアルルに移り住んだ「黄色い家」のゴッホ自身の部屋を描いた作品です。
ゴッホは弟のテオに手紙をよく書いて近況を報告していましたが、この作品についても手紙で述べられています。
手紙には、「壁を淡い紫」「床を赤く」描いたと述べているのですが、実際の作品と色が違います。
黄色い家
ゴッホは、明るい太陽の光とそれい照らされた明るい色彩を求めて南フランスのアルルに移り住みます。
そこで、画家たちとの共同生活を夢見て、友人の画家たちを誘いますが、共同生活を承諾したのはゴーギャンでした。
ゴーギャンの来訪を待つ間、ゴッホは借りた「黄色い家」と自身の部屋を描きました。
「黄色い家」
(1888年)
ゴッホの部屋は2階の赤丸で囲った部屋です。
ファン・ゴッホの寝室
「ファン・ゴッホの寝室」
(1888年)
ゴッホは手紙で「壁は淡い紫」「床は赤く」と述べていますが、実際の作品は壁は青く、床は赤というより茶色に見えます。
当初、ゴッホは精神の調子を崩したために色の識別に影響を出ていたか、単なる手紙の書き間違いと考えられていました。
しかし、2010年からはじまった科学調査で、赤い絵の具の色素が経年劣化によって抜け落ちたことが判明、壁は紫から赤が抜け落ち青色に、床が赤色があせて茶色になったことが判明しています。
歪んだ部屋
また、作品では、部屋が歪んでいるように見えます。
建物自体は戦火で焼失していまいましたが、家の間取り図が残っており、それによると部屋は長方形ではなかったようです。
また、ジャポニズムの影響を強く受けていたゴッホは、平面的に描き、影なども描いていない為、歪んで見えるのかもしれません。
2点の複製
ゴッホは、この作品の複製を2点制作しています。
1作目の「ファン・ゴッホの寝室」
2作目の「ファン・ゴッホの寝室」
(1889年)
最初の作品の複製。
3作目の「ファン・ゴッホの寝室」
(1889年)
ゴッホが母にプレゼントするため制作
ゴッホのバラ
本作品と同様に赤色が退色したことが判明しているゴッホの作品があります。
「薔薇」
(1890年)
「花瓶の薔薇」
(1890年)
当初は「白い薔薇」との題名を付けられていましたが、2点ともただの「薔薇」に変更されています。
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