フィンセント・ファン・ゴッホは1886年にオランダからパリに出て、弟テオとの共同生活を始めます。
ゴッホはパリで印象派や新印象派の画家達と出会いうとともにその画風に影響され、それまでの暗い色彩から明るい色彩の作品へと変化していきます。
本作品「アニエールでセーヌ河に架かる橋」も黄色を基調とした明るい色彩の作品となっており、また、当時の最先端とされた機関車が描かれております。
アニエールはパリ北西のセーヌ河沿いの地域で、多くの画家が作品にしている場所でゴッホ自身も本作品の他にもアニエールを題材に数点、作品を制作しています。
作品 アニエールでセーヌ河に架かる橋
オランダからパリに移住したゴッホが新印象派のスーラやシニャックなどと出会い、影響を受けて描いたと思われる作品の一枚です。
「アニエールでセーヌ河に架かる橋」
(1887年)
それまでのゴッホの作品の色彩とは違い、明るい黄色や青色を基調にした作品となっており、ゴッホの後年の作品の特徴ともいえる筆跡を利用した描写となっています。
本作品の1年前にパリに出てきたゴッホは当時、パリで注目され始めていた新印象派のジョルジュ・スーラやポール・シニャックの作品に影響されたと思われます。
(参考)「グランド・ジャット島の日曜日の午後」(ジョルジュ・スーラ)
(1884-1886年)
新印象派の点描描写とは違うものの、筆跡を利用した描写となっています。
赤色の服装と日傘の女性を黄色と青色にかぶさるように配置、画面のアクセントとなっています。
また、当時の画家達は自身の作品に当時の最先端技術の象徴でもある機関車を描くことが多かったのですが、ゴッホも本作品内に描いています。
ボートが浮かぶのどかなセーヌ河の水面と機関車を対比しているようにも思えます。
(参考)「郊外の列車」(クロード・モネ)
(1870年)
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