ポスト印象派、後期印象派と呼ばれるフィンセント・ファン・ゴッホの作品「アルルのダンスホール」です。
ゴッホは、画家達との共同生活を夢見てパリから南仏アルルへ移住します。
共同生活できたのは結局ポール・ゴーギャンだけでしたが、共同生活の間は互いに影響を与え合い、作品を制作しあったりしています。
作品への考えた方や作風が大きく違う二人はすぐに対立してしまい、共同生活は2ヵ月ほどで終了してしまいます。
本作品「アルルのダンスホール」はゴッホがゴーギャンの作風を取り入れていることが明確な作品で、ゴッホなりにゴーギャンに歩み寄ろうとしていたことがわかります。
作品 アルルのダンスホール
本作品「アルルのダンスホール」は、ゴッホの他の作品とは趣が異なる作品となっています。
「アルルのダンスホール」
(1888年)
対象物の輪郭を太くハッキリと描き、人の表情は単純化されており、ゴーギャンが確立したクロワニズム的描写となっています。
また、平面的な描写と平坦な配色もゴーギャンが取り組んでいた作風です。
同時期のゴーギャンの作品、「説教のあとの幻影(ヤコブと天使の闘い)」(ポール・ゴーギャン)
(1888年)
アルルに来る前にいたフランス 北西部のブルターニュでの様子を描いた作品です。
本作品「アルルのダンスホール」では、ゴッホと親交があった人物が描かれています。
唯一、作品中で視線が鑑賞者に向いている人物で、アルルでゴッホを支援ていた郵便配達人ジョセフ・ルーランの妻ルーラン夫人とされています。
ゴッホもゴーギャンもルーラン夫人をモデルに描いています。(ゴッホは、5点の作品が現存しています。)
「ルーラン夫人の肖像」(ポール・ゴーギャン)
(1888年)
「ルーラン夫人ゆりかごを揺らす女」(フィンセント・ファン・ゴッホ)
(1888年)
上の「ルーラン夫人ゆりかごを揺らす女」は、「アルルのダンスホール」と同時期に描かれており、ゴーギャンのように輪郭線が太くはっきりと描かれています。
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