17世紀のオランダを代表する画家ヨハネス・フェルメールの作品で彼の現存する2点の風景画のうちの1点、「デルフトの小路」です。
1654年デルフトでは火薬庫の爆発が起こり市内の1/4が消失、また、戦争等で中世の建物が失われていました。
当時の新興国家であったオランダでは、宗教画や神話画の需要がそれほど高くなく、失われる都市景観の記録としても都市の景観を描いた風景画が良く描かれました。
作品:デルフトの小路
一般的に建物を描く場合、奥行きの表現を容易にするため、斜め方向から描くのですが、本作品でフェルメールは建物の真正面から描いています。
「デルフトの小路」
(1857-1658年)
本作品のモデルの建物はフェルメールの叔母の家との説もあり、都市の景観を描くと言うより建物自身を描く事が目的だったのかもしれません。
左から洗濯をする女性、遊ぶ2人の子供、刺繍をする女性が描かれていますが、フェルメールの他の作品と違い、人物をはっきりと描いていません。
フェルメールには14人の子供がいましたが、子供が登場する作品はこの作品のみとなっています。
影響された作品:デルフトの中庭
同時期に活躍し風景画や風俗画を描いた画家にピーテル・デ・ホーホがいます。
デ・ホーホは、フェルメールに大きな影響を与えましたが、「デルフトの小路」もデ・ホーホの作品に影響を受けた作品です。
「デルフトの中庭」
(1658年)
デ・ホーホの「デルフトの中庭」も正面から描かれていますが、フェルメールよりも人物の描写が大きくされています。
デ・ホーホとフェルメールは交流があったとされています。
「あずまやのある中庭で酒を飲む人々」
(1658年)
「デルフトの中庭」とおなじ場所を描いた「あずまやのある中庭で酒を飲む人々」で談笑する男性二人は帽子をかぶった男性がフェルメール、奥の男性がデ・ホーホという説もあります。
コメント