19世紀のアメリカ人画家ですが主にパリやロンドンで活動したジェームズ・マクニール・ホイッスラーの作品「白のシンフォニー 第一番 白の少女」です。
作品を公開した当初は「白い服の女」と呼ばれていましたが、同名の小説があり混同されることから批評家が「白のシンフォニー」と名付けたようです。
また、本作品のように白い服を着た女性を描いた作品がが3作制作されており、その最初の作品として第1番と題名に付けられています。
モデルは、当時いろいろな画家の作品のモデルを務めていたジョアンナ・ヒファーナンという女性でホイッスラーの恋人です。
作品 白のシンフォニー 第1番 白の少女
ホイッスラーは、印象派の画家たちが活躍した同時代の画家ですが独自の世界観から作品を制作しています。
本作品では、白の背景に白い服の女性を描き、白い服の女性に白いユリを持たせるという表現で当時は批判を受けました。
「白のシンフォニー 第1番 白の少女」
(1862年)
人物の描写というよりも多様な白の描写と同色の調和の描写を試みた作品に見えます。
白のみで描かれた画面上部とは対照的に床は色彩豊かに描かれており、画面上部の白をより印象付けています。
本作品で試みた同色の多様性や調和の描写は支持されることがなく、ロンドンでの展覧会に落選しています。
落選後、パリで開催されていた”落選展”に出品され、同時に出品されていたエドゥアール・マネの「草上の昼食」とともにスキャンダルな絵画として注目されます。
「草上の昼食」(エドゥアール・マネ)
(1863年)
スキャンダルな絵画とされたのは、女性が持つ白いユリで当時、白いユリは聖母マリアを表すもので、純潔を示すものでしたが、本作品で描かれている白いユリはしおれています。
また、女性の表情の描写や様子から寝起きの女性が描かれているとして、「処女喪失」を描いた作品とされ批判されました。
本作品以後、白のシンフォニー 第2番、第3番が発表されていますが、ホイッスラー自身が「白のシンフォニー」と題名にしたのは、第3番のみです。
「白のシンフォニー 第2番 白衣の少女」
(1864年)
「白のシンフォニー 第3番」
(1867年)
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