マリー・ブランクモンは印象派の女性画家でベルト・モリゾやメアリー・カサットとともに印象派展などに作品を出品しています。
しかし、活動期間も限られ作品数も少ないことから他の2人と比べるとあまり知られていません。
また、裕福な家の出身のモリゾやカサットと違い、一般的な家の出身のマリーは、地元の画塾で絵を学びました。
才能は確かなもので、17歳の時に自身の家族を描いた作品がサロンに入選し、その作品がアングルに認められてアングルの弟子になっています。
作品 セーブルのテラスにて
マリーはアングルのもとで絵画を学びますが、アングルの女性を認めない偏見のため男子生徒のようには指導されず、マリーには花や果物などの静物画のみを描かせたようです。
マリーがルーヴル美術館で巨匠たちの模写をしていた時、版画家のフェリック・ブラックモンと知り合い、その後、結婚します。
結婚にはマリーの母親がフェリックの性格を理由に強く反対したようですが、マリーは、結婚すれば性格も変わると言い、結婚しました。
アングルの指導方法に嫌気がさしていたこともあったかもしれません。
マリーは、フェリックスを通じてマネやドガ、シスレーなど印象派の画家たちと知り合い、自身の画風も印象派的なものへと変化しています。
「セーブルのテラスにて」
(1880年)
本作品は、結婚後に夫と移り住んだパリ西部近郊のセーブルで描かれたもので、モデルは夫の友人のファンタン・ラトゥール夫妻です。
ファンタン・ラトゥールは「バティニョールのアトリエ」を描いた画家です。
「バティニョールのアトリエ」
(1870年)
作品右側の白いドレスの女性はマリー自身と言われていますが、マリーの息子ピエールは妹がモデルとなったと言っています。
当初、新古典主義の巨匠アングルの下で学んだマリーですが、印象派の画家たち親交をもつにつれて印象派の画風になっているのがわかります。
白いドレスが反射する光を青や淡いピンクで表現しています。
マリーは計3回印象派展に出品するなどしていますが、母親の心配通り夫フェリックスはマリーの画家として活動することは認められず、マリーは50歳で作品制作をやめてしまっています。
コメント