ラファエロ・サンティ 「大公の聖母」

ラファエロ・サンティ

聖母子を描いた作品が多く”聖母子の画家”と呼ばれるラファエロ・サンティの作品で、ラファエロの多くの聖母子作品の原型と言われています。

また、ラファエロが同時代であらうルネサンス期の二人の巨匠レオナルド・ダ・ビンチミケランジェロの評判を聞いて訪れたフィレンツェで、二人の作品を直に鑑賞した後に描いた作品です。

黒い背景

ラファエロは多くの聖母子像を描いていますが、背景が黒の作品は本作のみでした。

そのため聖母子はラファエロが描いたものと認められていましたが、背景に関してはラファエロ自身が黒くしたのかどうか議論が長い間行われていました。

大公の聖母
(1505-1506年)

1505-1506年
ラファエロ・サンティ
「大公の聖母」
パラティーナ美術館蔵(イタリア フィレンツェ)

科学的調査の結果、黒色の背景の下には室内の風景が描かれており、黒色の成分も聖母子の物とは違う成分だったため、別の人間が黒く上塗りしたことが判明しました。

背景部分の痛みが激しかったため、その痛みを隠すために黒く上塗りされてと考えられています。

大公の聖母の大公とは

大公の聖母」の大公とは、イタリア フィレンツェのあるトスカーナ地方を治めていたトスカーナ大公フェルディナンド3世のことです。

フェルディナント3世は、この作品をとても気に入り自身の寝室に飾り、夏に自身がフィレンツェを離れる間だけ人々に公開されました。

美術館で公開されるようになるのは、フェルディナント3世が死去した後となります。

レオナルド・ダ・ビンチの影響

フィレンツェを訪れてすぐに制作した本作品にはレオナルド・ダ・ビンチの影響がみられます。

レオナルド・ダ・ビンチの特徴的な技法であるスフマート技法で描かれています。

ラファエロは、レオナルド・ダ・ビンチミケランジェロとともにルネサンスの3大巨匠とされていますが、貪欲に他の2人の技法を学んだと言われます。

ブノアの聖母」(レオナルド・ダ・ヴィンチ
1478年

1478年
レオナルド・ダ・ビンチ
「ブノアの聖母」
エルミタージュ美術館蔵(ロシア サンクトペテルブルク)

レオナルド・ダ・ビンチの「ブノワの聖母」に影響を受けたと言われる「カーネーションの聖母」を同時期に描くなど、意識的に巨匠の技法を学び、吸収しようとしていたようです。

カーネーションの聖母
1506-1507年

1506-1507年
ラファエロ・サンティ
「カーネーションの聖母」
ナショナル・ギャラリー(イギリス ロンドン)

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