印象派の代表的な画家、ルノワールの出世作となった「シェルパンティエ夫人とその子供たち」です。
当時の有名な出版事業者 ジョルジュ・シェルパンティエの依頼で彼の家族を描いたもので、サロンに出展、好評を得ます。
シェルパンティエがルノワールの作品を3点、1875年の競売で買い上げ、その翌年に娘の肖像画をルノワールに依頼、その後も家族の肖像画を7点依頼し、ルノワールを支援しました。
シェルパンティエ夫人とその子供たち
「シェルパンティエ夫人とその子供たち」
(1878-1879年)
シェルパンティエ夫人は、当時の社交界でも有名で上流階級の人々にも知り合いが多く、ルノワールの作品も彼女の紹介で購入されることが多かったようです。
本作品は、サロンに入選しますが、展示場所も主催者側がシェルパンティエに気を使って、目立つ場所に展示されたと言われています。
シェルパンティエ家と本作品により、ルノワールには肖像画の注文が増えていきました。
夫人の黒い服
ルノワールは、夫人のドレスを黒で描いています。
光の表現を重視していた印象派では黒は使用しないのですが、ルノワールは黒を使用しています。
サロンへ出展した場合、印象派展には出展できないことから、ルノワールの印象派への挑戦・決別との表現とも言われています。
描かれている子供は姉と弟
姉妹が描かれているようですが、母親の横に座っているのは、男の子です。
当時の風習で、男児の死亡率が女児より高かったため、一種の魔除けの意味で、6歳ぐらいまで女装されていました。
日本風屏風
当時、ジャポニズムの影響もあり、上流階級の間でも日本風の装飾が人気があり、日本風の屏風が置かれています。
すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢
「すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢」
(1876年)
姉のジョルジェットの肖像画です。
「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」とともに印象派展に出展されました。
ジョルジェットは、生涯、この作品を所有していましたが、彼女が無くなった後、遺族が手放し、現在、日本のアーティゾン美術館が所蔵しています。
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