南フランスの名門貴族の家に生まれたロートレックですが、子供頃に両足を骨折したことをきっかけに下半身の成長がとまってしまう病を患います。
そのことから差別を受けたりしていたロートレックは、娼婦などの夜の世界の女性たちの境遇に共感を持ち、昼は作品制作、夜は娼館に入りびたりの生活をするようになります。
また、アブサンなどの強いお酒に溺れ、アルコール依存症となり入退院を繰り返したながら36歳の若さで亡くなっています。
本作品は、生活を共にしていた娼婦たちがサロンにて客待ちをしている様子を描いています。
作品 ムーラン通りのサロンにて
娼婦たちと生活を共にするようになっていたロートレックに対して、娼婦達も身構えることなくくつろいだ様子で描かれています。
「ムーラン通りのサロンにて」
(1894年)
娼婦のなかで一人、肌をみせていない女性が描かれていますが、この娼館の女主人のようです。
娼婦たちの心情にも通じていたロートレックは、本作品では、娼婦たちが互いに会話もせず、視線もあっていない様子を描き、娼婦たちの孤独感を印象付けています。
また、ロートレックが得意としていた早い筆跡での描写が行われています。
一方で、サロンの柱を画面中心に配置し、前面の娼婦の足とソファーの継ぎ目の線で三角形をつくり、画面に安定感を与えています。
また、左下のソファーの上に大きな空間を作ることで、柱を中心に前面の娼婦と女主人、奥の娼婦たちに視線が動いていくようにしているようです。
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