印象派の先駆者で、当時の絵画に革新をもたらしたエドゥアール・マネの多くの作品でモデルを務めたヴィクトリーヌ・ムーランです。
マネの代表作で当時、スキャンダルとなった「草上の昼食」「オランピア」のモデルも務めました。
後に彼女も絵画を学び、画家としてサロンにも入選を果たしています。
ヴィクトリーヌ・ムーランの肖像
「ヴィクトリーヌ・ムーランの肖像」
(1862年)
マネとムーランは、裁判所で偶然出会い、ムーランの容姿にひかれたマネが声をかけたことがきっかけと言われています。
小柄で赤毛が特徴的な女性だったようです。
彼女は、ギターとヴァイオリンを弾きそのレッスンやカフェで歌うなどして、生計を立ってていたようです。
「街の歌い手」
(1862年)
マネが最初にムーランをモデルに描いた作品も、ギターを持つ街の歌い手を描いた作品となっています。
他の作品
「マタドール姿のヴィクトリーヌ・ムーラン嬢」
(1862年)
「草上の昼食」
(1862-1863年)
「オランピア」
(1863年)
「女とオウム」
(1866年)
「鉄道」
(1873年)
ムーランは、モデルを務めるととともに、絵画のレッスンを受け始めました。
マネが批判していた当時のアカデミック美術を志向するようになり、徐々にマネとは疎遠になり「鉄道」がムーランがマネの作品でモデルを務めた最後の作品となりました。
ムーランの作品は、サロンに6回入選し、賞も受賞したようです。また、フランス芸術家協会の会員にもなっています。
「枝の主日」
ムーランの作品は、現在のところ2004年に発見された「枝の主日」が現存している唯一のものとなっています。
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