制作期間10ヵ月ほどで約140点ほどの作品を残し、忽然と消えた謎の絵師、東洲斎写楽。
江戸幕府の寛政の改革で抑圧されていた歌舞伎業界、改革の主導者の水野定信が失脚したタイミングで一気に28点の役者絵が発売されました。
版元の蔦屋重三郎が仕掛けたプロジェクトでした。
謎とされていた写楽の正体も現在までの研究で、写楽の正体は徳島藩の武士で能役者の斎藤十郎兵衛が有力な説とされています。
有名な大首絵
写楽作品で一番有名な「三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛」。
芝居ではワンシーンしか出てこない脇役で、主役に強盗を働こうとしているシーンを描いています。
「 三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛 」
写楽の画風は、デフォルメを駆使し役者の個性を大胆に描き、表情やポーズまでしっかりと捕らえた、当時の役者絵とは違う、ユニークなものでした。
当時、役者絵は、芝居好きが観劇後に買うプロマイドみたいなもので、役者を美化したものが一般的でした。
写楽は、顔と比較してもかなり手を小さく描き(①)、顔を際立たせ、鼻は鷲鼻(②)で描かれており美化されているとは言えないものです。
対の作品
この作品には、主役を描いた対の作品があります。
「市川男女蔵の奴一平」
江戸兵衛がお金を盗もうとするのを刀を抜いて立ち向かおうとしているところです。
実は、役者の特徴をデフォルメして描いた写楽の絵は、当時の人々にはあまり受け入れられなかったとも言われています。
版元 蔦屋重三郎
浮世絵版画は、絵師・彫師・摺師の三者の共同作業で成立しており、その制作から販売までをプロデュースしたのが、現在の出版社にあたる版元です。
蔦屋重三郎 は、人々の興味や流行を敏感に感じ、美人大首絵で喜多川歌麿を人気絵師に育てるなどした敏腕の版元です。
「寛政三美人」
(喜多川歌麿)
そんな、敏腕プロデューサーの蔦屋重三郎が無名の絵師写楽の絵を一気に28点リリースしたプロジェクトで写楽はデビューしています。
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