学校の教科書で見てから、記憶に残っている方が多いのでは?
大正期の画家、岸田 劉生が描いた「麗子像」です。
暗い背景に、横長にデフォルメされた少女の顔、小さな手は正直、少し不気味です。
モデルは誰?
この絵は、岸田 劉生が、自分の娘(麗子)をモデルに描いた絵です。
彼は、生まれて間もなくから15歳ぐらいまでの自分の娘をモデルに水彩、油絵など色々な手法をもちいて「麗子像」として約70点ほど、作品を制作しています。
実物の娘さんは、絵のような外見ではありません。
(岸田 麗子も画家の道を歩んでいます。)
自身の娘をデフォルメして描いています。
「麗子五歳之像」
(1918年)
一連の麗子像はこの作品からはじまりました。
「麗子座図」
(1919年)
「麗子微笑」
(1921年)
一番有名な「麗子像」
「二人麗子図」
(1922年)
二人描かれていますが、娘さんはお一人です。
「童女図/麗子立像」
(1923年)
何故、実物と違う描写
どうして、実際の自分の娘とは違う描写をしたのでしょうか?
いろいろな評価が行われているようですが、見たものをそのまま描くことをしていない事は確かです。何か内面的な物、本質的な何かを表現しようとしたようです。
彼は、東洋美術に関心をよせ、「平面的な描写」、特に、初期の肉筆浮世絵画の「しつこさ」「濃い表現」を評価していたらしく、その表現方法を「デロリ」という造語を作って表現していました。
岩佐又兵衛「浄瑠璃物語絵巻 第4巻」
デロリ表現がされていると言われる日本画です。
彼は、身近の最も尊い自分の娘に対する気持ちと東洋的美意識の表現とを統合した描写をしたのだと言われています。
コメント