正規の絵画教育を受けず、独学で画家になった芸術家たちは、素朴派と呼ばれています。
その素朴派の代表格なのがアンリ・ルソーです。
ルソーは22年間ほどパリ市の税関に勤めながら、余暇に絵を描く「日曜画家」でした。
アンリ・ルソー
ルソーは、高校中退後、一時法律事務所に勤務。その後、5年間の軍役についた後、パリ市の税関に努めます。
パリ市税関に勤務するかたわら、余暇に絵を描いていましたが、絵画制作に専念するため1893年に税関を退所します。
「私自身、肖像=風景」
(1890年)
40代半ばのルソーが描いた自画像ですが、ルソー自身は不自然に大きく、宙に浮いているように見えます。
遠近法などの伝統的技法は全く無視されており、他の誰の絵にも似ていない独創的なものとなっています。
ロートレック、ゴーギャンなど同時代の一部の画家達に評価されるのみで、作品はなかなか売れず、定期的に売れるようになるのは晩年で、ほどなくして66歳で亡くなっています。
「眠るジプシー女」自ら市長に売り込んだ絵
経済的に困窮していたルソーは、故郷のラバルの市長に自信の作品を売り込みました。
「眠るジプシー女」
(1897年)
市長や市の幹部は、当時の一般的感覚であることもあり、売り込みは失敗します。
その後、この絵は行方不明となりますが、26年後に発見されます。
主な作品
ルソーは、砂漠や熱帯の風景をテーマにした作品を多く残しています。
本人は、フランス軍のメキシコ遠征に従軍したときのことを思い出して描いたとしていますが、実際には外国へ行ったことはありませんでした。
ルソーの作品の幻想的な風景は、万国博覧会やパリの植物園、書物で見た植物を組み合わせたものとされています。
熱帯嵐のなかのトラ
ルソーが描いたジャングルの第一作。
「熱帯嵐のなかのトラ」
(1891年)
飢えたライオン
「飢えたライオン」
(1905年)
蛇使いの女
「蛇使いの女」
(1907年)
夢
ルソーの最後の完成した作品。
「夢」
(1910年)
コメント