ウジェーヌ・ドラクロワがパリ7月革命をテーマに描いた「民衆を導く自由の女神」です。
各々の画家が描きたいものを描く自由を求めたロマン主義の代表的画家ドラクロワは、自由を求めて蜂起した民衆の姿を描きました。
民衆を導く女神
中央で三色旗を振り、民衆を導く女性は、フランス共和国を擬人化した女性像で、マリアンヌと呼ばれます。自由の女神のことを指します。
ドラクロワはマリアンヌを中央に据え、作品の下部に革命で命を落とした人々が横たわるピラミッド型の構図をとり、マリアンヌに鑑賞者の視線が集中するようにしています。
「民衆を導く自由の女神」(1830年)
マリアンヌは、フランス革命の際に生まれた、仮想の存在の女性でフランスの象徴です。
マリアンヌがかぶっている三角帽のフリギア帽は労働者がかぶる帽子で、自由の象徴とされました。
また、女性は自由、乳房は母国を表現していると言われています。
同時代に起こった事件を扱う時事性、人間の感情を自由に描こうとしたロマン主義の代表的作品です。
ウジェーヌ・ドラクロワ
高級官僚の息子として生まれ、18歳で国立美術学校に入学します。
24歳で「ダンテの小舟」という作品でサロンに入選しますが、劇的な色彩や採用するテーマなどで度々批判されます。
「ダンテの小舟」(1822年)
サロン入選作品
「キオス島の虐殺」(1823年-24年)
1822年に実際に起こった事件
「民衆を導く自由の女神」でマリアンヌの後方にいる山高帽の男性はドラクロワ自身とされてきました。(別人との説もあります。)
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