レンブラント・ファン・レイン 「酒場のレンブラントとサスキア(放蕩息子(ほうとう息子)」

レンブラント・ファン・レイン

バロック期のオランダを代表する画家レンブラント・ファン・レインが自身と妻のサスキア・ファン・オイレンブルフを描いた作品です。

レンブラントは妻のサスキアをモデルに多数の作品を制作していますが、自身と妻の二人を描いた作品は珍しく、現存しているのは本作品ぐらいです。

妻のサスキアは、市長の娘で裕福な一族の出身でした。彼女がレンブラントに富裕層へのコネクションをもたらしたと言われています。

作品:酒場のレンブラントとサスキア(放蕩息子)

レンブラントは若くして画家として成功していますが、浪費家で派手な衣類や宝石、質の良いベレー帽などを愛用しており、当時から妻の財産を浪費しているとの批判を受けていたようです。

酒場のレンブラントとサスキア(放蕩息子)
1635年

1635年
レンブラント・ファン・レイン
「酒場のレンブラントとサスキア(放蕩息子)」
アルテ・マイスター美術館蔵(ドイツ ドレスデン)

そんな批判をレンブラントも知っていたようで、自身を自虐的に放蕩息子として描いています。

ビアグラスをかがげて鑑賞者に乾杯しているレンブラントの少し酔っ払ったような顔としっかりこちらを見つめるサスキアの表情が対比されているようです。

妻サスキアを自身の膝の上に抱え、まるで自分のものであるように描いています。

サスキアの横には「傲慢」の象徴である孔雀が描かれています。

妻 サスキア・ファン・オイレンブルフ

サスキアは幼くして両親を亡くしましたが、裕福だった両親から多額の遺産を受け継いでいました。両親亡き後は、姉夫妻に育てられていたようです。

1633年、サスキアが21歳の時に画家で画商を営んでいた叔父からレンブラントを紹介され、同年レンブラントとサスキアは婚約、翌年に結婚しています。レンブラントは当時27歳でした。

婚約後、レンブラントはサスキアの自画像を多く制作しています。

サスキアの肖像
1634年

1634年頃
レンブラント・ファン・レイン
「サスキアの肖像」
ナショナル・ギャラリー蔵
(アメリカ ワシントンD.C.)

夫婦仲はとても良かったのですが、サスキアは29歳の若さで結核で亡くなってしまいます。

横顔のサスキア
1633-1642年

1633-1642年
レンブラント・ファン・レイン
「横顔のサスキア」
カッセル美術館蔵
(ドイツ ヘッセン州カッセル) 

横顔のサスキア」はレンブラントがサスキアと結婚した1633年からサスキアが亡くなる1642年の9年間をかけて制作されたサスキアの肖像画です。

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