シェイクスピアの「ハムレット」に登場するオフィーリアを描いた、19世紀のイギリスの画家ミレイの作品です。
オフィーリアは、恋人のハムレットに冷たくされた挙句、父親を殺されたことで正気を失い、最後には溺死してしまう悲劇のヒロインです。
ジョン・エヴァレット・ミレイは、モデルの女性にバスタブで長時間ポーズをとらせるなど、徹底した観察を行い作品を制作しました。
モデルの女性 エリザベス・シダル
川に落ち、死ぬ間際のオフィーリアをエリザベス・シダルという女性がモデルを務めています。
エリザベス・シダルは、美術や詩に興味を持ちながらも、ロンドンの帽子店で働いていました。
ちょうどモデルを探していた画家、ウォルター・デヴェレルに見いだされ、モデルを行うようになります。
ウォルター・テヴェレルの自画像
ウォルター・デヴェレル は、27歳で亡くなってしまいますが、ウォルターが参加していたラファエル前派というグループのメンバーたちが、シダルをモデルとして作品を制作しはじめます。
ミレイもラファエル前派のメンバーで、シダルをモデルにして、この作品を制作しました。
シダルは、この作品制作のモデルをしましたが、衣装を着てバスタブに入れられ長時間ポーズを取らされたため、肺炎になってしまったそうです。
ラファエル前派
1848年、ミレイをはじめとした7人の若者が「ラファエル前派兄弟団」というグループを結成しました。
当時、イギリスのロイヤル・アカデミーはルネサンスの巨匠ラファエロを規範としていました。
ラファエル前派は、理想的な描写をするルネサス期の絵画ではなく、ルネサス以前の自然をそのままに、人物も忠実に描こうという主張を展開しました。
「オフィーリア」
(1851年-1852年)
ミレイは、自然のままに描くために、イメージに合った小川を探し、ロンドン郊外のホッグズミル川にたどり着き、4か月ほど滞在してスケッチを重ねました。
ミレイの「オフィーリア」は、ラファエル前派の代表作となります。
しかし、ミレイはその後、ラファエル前派と距離をおき、ロイヤル・アカデミーの会員となったことでラファエル前派の活動は頓挫します。
ジョン・エヴァレット・ミレイ
幼少期から才能を見込まれ、両親はミレイに優れた教育を受けさせるため、ロンドンに転居し、1840年に史上最年少の11歳でロイヤル・アカデミーの美術学校の入学が認められます。
ジョン・エヴァレット・ミレイ
(1854年頃)
1848年には、ロイヤル・アカデミーに反発し、ラファエル前派兄弟団を結成します。
しかし、ミレイは子供を8人もうけ、養う必要性からも、緻密な描写が必要なラファエル前派からはなれ、より大衆が好む作品を描くようになります。
「初めての説教」
(1863年)
1863年にロイヤル・アカデミーに「初めての説教」を出品、最も人気のある作品に選ばれアカデミーの正会員に選出され、その後、1896年には会長に選出されます。
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