葛飾北斎には、息子と三人の娘がおり葛飾応為は三女と言われています。
美人画に優れ、北斎の美人画の代作をしたとも言われ、北斎も「美人画に関しては応為にかなわない」と語ったと伝わっています。
応為は70歳近くまで生きたとされている一方で、現存する作品は十数点しかありません。
北斎作とされている作品のなかにも応為作もしくは北斎との共作が相当数あると考えられています。
代表作:吉原格子先之図
誇張した明暗法と精密な描写で応為の代表作とされるのが「吉原格子先之図」です。
「吉原格子先図(よしわらこうしさきのず)」
(1818-1844年頃)
幻想的な光と影が見る者に強い印象を与えます。
当時のオランダ商館長が北斎の工房に依頼した作品のうちの一つと考えられており、何らかの理由で日本に留まったと推測されています。
画中の3つの提灯のなかにそれぞれ「應」「為」「榮」と記載されています。(応為の名は「栄」もしくは「お栄」とされています。)
他の作品 「春夜美人図」
「 春夜美人図(しゅんや びじんず)」
明暗の表現、灯篭の描写などから無款ながら応為作と認められている作品です。
葛飾応為
応為という画号は、北斎が娘のことを「オーイ」と呼んでいた為、又は、逆に北斎のことを彼女が「オーイ親父どの」と呼んでいたからなど色々な説があります。
一度、絵師に嫁ぎますが、父親譲り性格で、思った事をすぐ口に出し、衣服や食事も気にせず、夫の絵を笑ったことから、離縁され北斎の元に戻ります。
北斎の弟子の露木為一が1840年頃の北斎(80歳頃)と応為(40歳頃)を描いています。
北斎がこたつ布団をかぶって絵を描いており、それを応為が見守っています。
応為は、北斎の晩年20年ほど同居し、北斎が息を引き取るまで北斎を支え、画業を助けたと言われています。
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