ミュシャと言えばポスター/リトグラフ
ミュシャと言えば、美しい女性が描かれたポスターが有名です。
彼のポスターは日本でもとても人気があり、展覧会も度々、行われています。
ミュシャは、ミュンヘンとパリの美術学校(ミュンヘン美術院/アカデミー・ジュリアン)で歴史画や風景画等の描写を学びました。
しかし、世に出たのは、急遽、制作を引き受けたポスター(舞台女優サラ・ベルナール主演の芝居「ジズモンダ」)でした。
一躍、ポスタークリエイターとして人気を得ていた彼に、パリ万博のポスターとパビリオンの内装の作成の依頼が来ます。
パリ万博
1900年にパリ万博の開催がきまり、当時から既に人気を得ていたミュシャには万博にむけた多くのポスターや案内状などのデザイン制作の依頼が舞い込みます。
「公式晩餐会の招待状表紙」
「オーストリアパビリオンのポスター」
オーストリアパビリオンのポスターには、2人の女性が描かれています。
当時、オーストリアは、ハンガリーを支配し二重帝国となっていたので、そのことを表現していると言われています。
内装の装飾の依頼者
パリ万博に、パビリオン出展を予定しているオーストリア政府より、パビリオンの壁画作成の依頼が来ます。
ボスニア・ヘルツェゴビナ館の装飾として壁画の依頼でした。当時、ボスニア・ヘルツェゴビナはオーストリア=ハンガリー帝国の施政下にありました。
壁画作品
ミュシャは、依頼を受け、壁画を作成しました。
ミュシャは、この壁画装飾で万博で銀賞を受賞しています。
現存している内装の一部(上の写真)は、色あせてしまっています。
また、下の写真はセピア色でしか残っていない為、見ずらく残念です。
(壁一面に装飾されているのが分かります。)
今、鑑賞できる美術館(プティ・パレ美術館)
1900年のパリ万博のパビリオンは既に解体されおり、装飾された部屋を見ることはできません。
壁画自体は、パリ万博の美術展示場として建設された、パリ市立プティ・パレ美術館で鑑賞することできます。
壁画装飾作成後のミュシャ
壁画装飾作成に際して、ミュシャは南スラブ諸国を取材旅行します。
当時、既にパリで名声を得ていたミュシャは、取材旅行中に自身と同じスラブ民族が他民族の抑圧下で苦しんでいるのを見て、心を痛めます。
もともと、祖国(チェコ)への愛も強かったことから、この壁画装飾作成後、スラブ民族の栄光と苦悩を描くことへ情熱を傾け、大作の「スラブ叙事詩」へと繋がります。
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