19世紀後半、パリのモンマルトルの丘にあったダンスホール「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」
このダンスホールに、当時の若者をはじめとしたパリの庶民たちは集まり、賑わいました。
当時、パリ市民の生活を描いていた印象派のルノワールが人々の様子を作品に遺し、印象派の代表作となっています。
ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踊会
自然の光をいかに表現するかに関心があった印象派の画家たちのなかでルノワールは、人物やその衣装を描く事に関心がありました。
本作品の作成当時のルノワールは35歳。ムーラン・ド・ラ・ギャレットの近所に住んでいました。
ルノワールは、木漏れ日のなかいきいきとダンスや談笑をする人々を描こうと、ダンスホールに通ったようです。
大きなキャンバスを運ぶのは困難なため、小さいサイズの絵を現場で描き、アトリエに持ち帰り、その絵をもとに作品制作をしました。
その為、その小さいサイズの方も現存、一時、日本の個人が所有していましたが、現在は外国の個人が所有しています。
「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」
(1876年)
小さいサイズの
「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」
本作品には、モデルとしてルノワールの知人や友人が多く登場しています。
ルノワールは当時の流行りの帽子をプレゼントするという約束でモデルを頼み、本作品を完成させたと言われています。
木漏れ日の光の表現
印象派の画家たちが関心があった光の表現として、ルノワールはドレスやジャケットにあたる木漏れ日の光を斑点で表現。
地面の光の反射を青色で描く事で表現しています。
庭にて、ムーラン・ド・ラ・ギャレットの木陰
ルノワールは、ムーラン・ド・ラ・ギャレットを題材に、もう一点、作品を残しています。
「庭にて、ムーラン・ド・ラ・ギャレットの木陰」
(1876年)
ダンスホールの賑わいからはなれて、仲の良い友人たちが語らうところが描かれています。
モデルは全員、ルノワールの知人で、髭の男性は、同じ印象派の画家のモネです。
駆け寄る女性の服が「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」と似ている為、同じ構想のなかで描かれた作品と考えられています。
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