ギュスター・カイユボットは、裕福な家庭の出身で、自身で作品を制作しながら印象派の友人達の作品を購入し、印象派を支えました。
遺言で、彼が購入していた印象派の作品を国(フランス)に寄贈したため、印象派の作品が外国に散らばらずに、オルセー美術館でまとめて鑑賞できるのはカイユボットの功績です。
カイユボット自身の作風は、写実的な作風ですが、印象派展へ出展を続けたことから印象派画家と言われています。
床削り
カイユボットの代表作の一つで、ミレーの「落穂拾い」やクールベの「石割り人夫」で労働者の厳しい環境などメッセージ性がある作品と違い、メッセージ性を無くし、労働階級を写実的に描いた作品と言えます。
「床削り」
(1875年)
床削りしている場所は、カイユボットのアトリエです。
カイユボットは、もう一点、「床削り」を制作しています。
「床削り」
(1876年)
カイユボットはこの作品をサロンに出展しましたが落選。第2回印象派展にも出展しましたが、写真のような正確すぎる描写が批判されたようです。
パリの通り、雨
印象派が活躍した時代は、パリ市街の大改造が行われパリの街並みが大きく変貌を遂げた時代でした。
この作品では、パリ市街を歩くブルジョア階級の人々を描いています。
「パリ通り、雨」
(1877年)
212.2cm x 276.2cm と大きな作品の為、人物はほぼ等身大で描かれています。
厳密な遠近法で描かれていますが、非対称な構図となっており革新的な作品です。
印象派風の作風へ
カイユボットは、晩年パリを離れ、プティ・ジュヌヴィリエというアルジャントゥイユの真向かいに移り住みます。
アルジャントゥイユは、モネやマネが住み、ルノワールもよく訪れて作品を制作していた地区です。
カイユボットが移り住んだ時期には、モネやルノワールが印象主義に距離をおきはじめたじきでしたが、カイユボットの作品に印象主義的な特徴が見られていきました。
「アルジャントゥイユのヨット」
(1888年)
水面が光を反射する様子の表現は印象主義の作風となっています。
コレクションを国の寄贈
カイユボットは、自身で作品を制作するほか、印象派の友人たちの作品を購入することにより、友人達を支えました。
彼のコレクションは、60数点となっていました。彼は遺言で自身のコレクションを国に寄贈したいと遺していました。また、遺言の執行者にルノワールを指名していました。
ルノワールは、1894年、美術大臣に寄贈の件を伝えますが、まだ、印象派の評価が定まっていない時代で、寄贈の受け入れにサロンやアカデミー美術派の他、一般の人々からも批判がでます。
最終的に、40点の作品が受け入れられました。
オルセー美術館に多くの印象派の作品が鑑賞できるのは、カイユボットの功績と言えます。
カイユボットが寄贈した作品の一部
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