「イスラエル博物館 印象派・光の系譜」展で一躍人気となったレッサー・ユリィです。
ドイツやイスラエルでは重要な画家と認識されてきましたが、日本では、あまり知られていない画家です。
モネやルノワールなどの印象派の少し後の時代の画家ですが、作品は印象派の影響をかなり受けておりドイツ印象派と呼ばれています。
夜のポツダム広場
「夜のポツダム広場」
(1920年代半ば)
雨の中のベルリンのポツダム広場を描いた作品です。
雨の中、街灯やお店の明かりが反射している表現など印象派の影響がうかがえます。
「イスラエル博物館 印象派・光の系譜」展で初来日した本作品は、あまり知られていない画家、作品にも関わらず、話題となり美術館の売店のポストカードも初日で完売したそうです。
この展覧会ではモネやルノワールのほか、ゴッホ、ゴーギャンなど印象派の有名画家も来日、展示されているのですが、そんななかユリィの作品が話題となりました。
印象派は、陽の光の移り変わりの描写を重視した作品が多く、また、パリ郊外などの描写が多かったのですが、ユリィは雨の夜のベルリンの光景を描きました。
冬のベルリン
「冬のベルリン」
(1920年代半ば)
本作品「冬のベルリン」も今回の展覧会で来日。冬のベルリンの様子の描写です。
雨は降ってはいないですが、路面が反射する描写が、雨の後のようで特徴的です。
また、「夜のポツダム広場」同様に通行人が縦に長く伸びた形で描かれていています。
作品の来歴
「自画像」
(1921年)
レッサー・ユリィは、ユダヤ系のドイツ人画家です。
ミュンヘン、アントワープ、ブリュッセル、パリなどで遍歴し技術を学び、ベルリンに戻っています。
ベルリンに戻ってきた当初は、当時のドイツ画壇の実力者との確執から、展覧会への出品が拒まれるなど不遇な時代もありましたが、その実力者が引退後は、作品を出品、評価を受けるようになりました。
1933年、ベルリンにユダヤ博物館が設立され、ユリィの作品の多くが収蔵されましたが、1938年、ナチス・ドイツの弾圧により閉鎖、作品は没収されてしまいました。
ナチスのユダヤ人弾圧、大戦の混乱の中でユリィの作品の多くも散逸、消失してしまったようです。
大戦後のユダヤ人の返還運動などによりエルサレムの美術館に収蔵され、1965年に設立されたイスラエル博物館に収蔵されました。
ユリィ自身は、1931年に亡くなっていますので、自分の作品がナチスに没収されたを知らずに済んでいます。
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