印象派が活躍した19世紀は、まだ、女性の活躍が制限されていた時代でしたが、そんな中で活躍した女性画家がいます。
なかでも有名となった女性画家、ベルト・モリゾ、メアリー・カサット、マリー・ブラックモンを当時の批評家のギュスターヴ・ジェフロワが3大女流印象派画家と称しました。
ベルト・モリゾ
3大女流印象派のなかで、モリゾが一番有名な画家と思われます。
モリゾは、エドゥアール・マネの弟、ウジェーヌ・マネの妻であり、マネの作品のモデルもよく務めました。
上流階級出身のモリゾは、幼少期から絵を学ぶ機会を得ていました。
また、同様に上流階級出身だったマネの家族とも親しかったようです。
当時、女性が結婚後も画家を続けることは難しかったのですが、夫のウジェーヌ・マネは妻を全面的に支援し、モリゾも作品の制作を続けることが出来ました。
「すみれの花束をつけたベルト・モリゾ」
(1872年)
「ブージヴァルの庭のウジェーヌ・マネと娘」
(1881年)
メアリー・カサット
アメリカのペンシルバニア出身の画家ですが、人生の大半をパリで過ごし、エドガー・ドガと知り合ったことから印象派として活動をはじめます。
「青いアームチェアに座る少女」
(1878年)
「青いアームチェアに座る少女」は、当時のパリ万博のアメリカ部門への出品を要請したものの、許可されませんでした。
モデルの少女は、ドガの友人の娘で、背景の描写にドガの手が入っている言われる作品です。
カサットは、女性平等運動の熱心な支援者で1910年代に女性参政権運動なども行っています。
カサットは、親子間の絆を強調するような作品を多く制作しています。
「子供の入浴」
(1893年)
「自画像」
(1878年)
マリー・ブラックモン
モリゾやカサットと違い、マリー・ブラックモンは上流階級の出身という訳ではありませんでしたが、1857年に家族を描いた作品をサロンに出品、ドミニク・アングルに認められます。
アングルの弟子となり新古典主義の作風を学びますが、女性には花や果物の静物しか描くのが認められませんでした。
1867年ルーブル美術館で巨匠たちの模写をしていたところ版画家フェリックス・ブラックモンと知り合い、結婚。
フェリックスがドガの友人でもあり、マネなど印象派の画家達とも親交があったことからマリーも新古典主義から印象派の作風へと移っていきます。
また、1886年にゴーギャンと知り合いその影響も受けています。
「午後のお茶」
(1880年)
「アトリエにいるフェリックス・ブラックモンの肖像」
(1886年)
モリゾと違い、夫のフェリックスはマリーの作品制作を快くおもっておらず、マリーは、作品制作を諦めてしまいます。
「マリー・ブラックモンの肖像写真」
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