フィンセント・ファン・ゴッホは32歳のときに、パリで美術商に勤めていた弟テオとともにモンマルトルの丘の中腹にアパートを借りて同居します。
モンマルトルとは、パリの郊外にあり、一番高い丘のある地域です。
現在は、パリの有名観光地となっていますが、当時はまだ農村風景画残る地域で、パリの都市整備がすすむと多くの画家達が移り住んできました。
移り住んできた画家には、ルノワールのような印象派の画家も多く、ゴッホの作風に影響を与えます。
ゴッホは、モンマルトルの風景を何点か作品にしています。
モンマルトルの風車
「モンマルトルの風車」
(1886年)
東京のアーティゾン美術館に所蔵さている作品です。
故郷のオランダを思い起こさせる風車ですが、印象派の影響からかオランダ時代の色彩とは大きく変わり、明るい色使いとなっています。
ムーラン・ド・ラ・ギャレット
「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」
(1886年)
当初、風車は小麦を挽くために建設されましが、当時は既にその機能では使われておらず、「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」というパリの社交場として利用されていました。
「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」
(1886-1887年)
ゴッホは、社交場としてのムーラン・ド・ラ・ギャレットよりもパリ郊外で都市化がまだ進んでいないモンマルトルの風景として風車を描いた作品を多く制作しています。
モンマルトルの街の光景:風車
「モンマルトルの街の光景:風車」
(1887年)
ゴッホは、パリに滞在中に印象派の影響を受けるとともに、自身で色彩の研究も進めていたようです。
本作品では、灰色の空と地面を背景に青、赤のフランスの国旗の色が繰り返されています。
子供の赤い服と青い服、荷車の車輪など赤と青で描かれ、電線も青で描かれています。
フランス国旗を音符のように繰り返し描いています。
モンマルトル通りの光景
「モンマルトル通りの光景」
(1887年)
「モンマルトル通りの光景」は、個人所蔵の作品で一般公開されていない作品でした。
2021年の3月にオークションに出品され、約17億円で落札されニュースとなっていましたが、購入者は未発表のため、鑑賞することは出来ないかもしれません。
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