伝統的な絵画様式にとらわれず独自の様式を探求したポール・セザンヌ。
当初、印象派に参加していましたが、後に独自の様式を確立、「近代絵画の父」とも言われています。
当時、印象派に多大な影響をあたえたエドゥアール・マネが問題作を発表。
その問題作「草上の昼食」と「オリンピア」を題材にセザンヌは作品を制作しました。
セザンヌの「草上の昼食」
セザンヌの「草上の昼食」
(1870-1871年)
マネは、当時、神話や歴史画でのみ許されていた裸体の女性を現実の女性として描いてスキャンダルとなりました。
マネの「草上の昼食」
(1862-1863年)
サロンに出品された「草上の昼食」は大きく批判をうけます。
マネの作品発表の後の10年後にセザンヌは同様の題名で作品を制作。マネへの対抗心から制作したともいわれていますが真意は不明のままです。
「草上の昼食」はクロード・モネも制作しています。
モネの「草上の昼食(中央部分)」
(1865-1866年)
モデルヌ・オリンピア(現代のオリンピア)
マネの代表作で、「草上の昼食」同様にスキャンダルとなった「オリンピア」もセザンヌは、自身の解釈で作品を制作しています。
セザンヌは、その作品を第一回印象派展に出展しています。
「モデルヌ・オリンピア(現代のオリンピア)」
(1873年)
当時、第一回印象派展自体が酷評されてしまいますが、なかでもセザンヌの「モデルヌ・オリンピア」は酷評の対象とされました。
「オリンピア」
(1863年)
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