南仏に移住してきたフィンセント・ファン・ゴッホは、風変わりな外国人の画家として、住民から疎まれていたようです。
そんなゴッホの良き理解者としてゴッホをささえた人物、ジョゼフ・ルーランの肖像画をゴッホは6点描いています。
6点の郵便配達ジョセフ・ルーラン
作品名は「郵便配達ジョゼフ・ルーラン」となっていますが、ジョゼフ・ルーランの実際の仕事は駅の郵便物取扱係でした。
ゴッホは弟テオへ手紙を多くの書いており、手紙を出すためにジョゼフ・ルーランの仕事場へ足しげく通ったようです。
ジョゼフ・ルーランは、強烈な共和主義者であり社会主義者だったため、住民から疎まれており、そんなルーランにゴッホは親近感を持ったのかもしれません。
1889年4月に制作された背景に花を散りばめた後半の3作品は、1889年1月にルーランがマルセイユに仕事で異動しアルルを離れていることから、以前の作品の模写と考えられています。
ルーラン夫人ゆりかごを揺らす女
ジョゼフ・ルーラン夫人の肖像もゴッホは描いており、現在5点確認されています。
ルーラン夫人自身は、あまりゴッホのことを快く思っていなかったと言われています。
南仏アルルでの黄色い家でのゴーギャンとの短い共同生活の期間に制作されたルーラン夫人の肖像画ですが、ゴーギャンもルーラン夫人を描いています。
「ルーラン夫人の肖像」
(1888年)
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