フランス新古典主義の代表的な画家、ジャック=ルイ・ダヴィッドがフランス革命の指導的役割を担っていたジャン=ポール・マラーの暗殺を題材に制作した作品です。
当時、ダヴィッドもマラーと同じ革命急進派(山岳派)に属しダヴィット自身も指導的立場にあり、本作品はプロバガンダの目的にマラーを英雄的に描写しています。
マラーの暗殺は1793年7月13日に起こりますが、ダヴィッドは本作品を暗殺から3か月後には完成させ、作品は当時のフランス革命による恐怖政治の指導者たちから賞賛されます。
作品 マラーの死
フランス革命の急進派の指導者であったジャン=ポール・マラーは、皮膚病を患っており、治療のためオートミールを浸した浴槽に入り仕事をしていました。
そこへ、シャルロット・コルデーという女性が、マラーを中心にする急進派(山岳派)に対して陰謀が巡らされていると言って、マラーへの面会を許されマラーへ近づきました。
シャルロット・コルデーは下級貴族出身でマラーの山岳派と対立していた派閥(ジロンド派)の支持者でした。
「マラーの死」
(1793年)
マラーが手に持っているのは、シャルロット・コルデーがマラーに会うために使ったメモとして描いています。
「1793年7月13日、マリー=アンヌ・シャルロット・コルデーより、市民マラー様へ、私は、大変不幸な女でございます。それだけでもあなた様の庇護をもとめる資格のある者でございます」と記載しています。
マラーの神格化の表現
ダヴィッドはマラー暗殺後の3ヵ月度には作品を完成させ公表しています。マラーと同じ革命の急進派(山岳派)であったダヴィッドはマラーを革命の英雄のように描写しました。
手紙と紙幣の描写
木箱の上に手紙と紙幣が描かれています。手紙には「夫が祖国防衛のために死亡した5人の子供を持つ母親に与えなさい」と記されています。
右手に羽ペンを持ったままになっているので、この手紙を書いた直後だと想像できます。
マラーが慈悲深い人物であったことを表現しています。
マラーの描写
マラーはこの時50歳でしたが、肌のシミなどは描かれず、実年齢よりも若く描写されています。また、皮膚病でしたがその描写もされていません。
また、ナイフを胸に刺され刺殺され、ナイフはそのまま胸に残されましたが作品では床に落ちています。
血痕の描写も控えめに描き、凄惨な場面を和らげて描いています。
また、マラーのポーズなどはダヴィッドが称賛していたカラヴァッジョの作品「キリストの埋葬」を参考にしているとも言われています。
「キリストの埋葬」
(1603-1604年)
ぼろぼろの木箱
ぼろぼろの木箱が描かれていますが、マラーが倹約で質実剛健であったことを表現していると思われます。ダヴィッドはそこへ「マラーへ」というメッセージと自身のサインを記しています。
革命のプロバガンダにも利用されたこの作品は革命指導者ロベスピエールが失脚後は忘れられていきました。
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