ルネサンス期のイタリア フィレンツェの画家サンドロ・ボッティチェッリの初期の作品です。
当時のフィレンツェを支配していたのは銀行家として大成功していたメディチ家です。
ボッティチェッリはその庇護のもとありました。
ボッティチェッリは本作品中でメディチ家の人々を登場させています。また、当時の人々が見れば一目でわかる当時のフィレンツェの有名人も登場させています。
ボッティチェッリの本人の自画像と考えられている人物も描がれています。
東方三博士の礼拝
新約聖書内のイエス・キリストの誕生を祝って東方から三人の賢者が贈り物をもって訪れるという「東方三博士の礼拝」は多くの画家に好まれ、作品にされています。
ボッティチェッリは作品の中央の一段高い位置に聖家族(イエス、マリア、ヨセフ)を配置し、三博士が順番に礼拝する様子を描き、両脇に参列する人々を描いています。
「東方三博士の礼拝」
(1475-1476年)
ボッティチェッリが本作品を発表するまでは、聖家族を作品中のどちらか端に描く構図が一般的でした。
「東方三博士の礼拝」
(1305年)
「東方三博士の礼拝」
(1423年)
ボッティチェッリの「東方三博士の礼拝」以降は、中央に聖家族を配置する構図が好まれるようになっていきます。
未完の作品となりましたが、レオナルド・ダ・ヴィンチも聖家族を中央に配置した構図で「東方三博士の礼拝」を制作しています。
「東方三博士の礼拝」
(1481年)
作品中の登場人物
ボッティチェッリは作品中に当時の有名人、特に自身の支援者であったメディチ家の人々を多く描いています。
聖母の前で膝をついているのがコジモ・デ・メディチでメディチ家のフィレンツェ支配を確立した人物で他の2人の博士がコジモ・デ・メディチの2人の息子です。
両端で立っているのは右側がコジモ・デ・メディチの孫で赤いマントの人物の息子たちです。
本作品が描かれた時点で三博士として描かれて3人はすでに亡くなっており、右側に描かれたコジモのロレンツィオ・デ・メディチがフィレンツェを支配していました。
ロレンツィオ・デ・メディチの後ろの水色の服の男性が作品の注文者のガスパーレと考えられています。
ガスパーレがメディチ家を作品中に描くように注文したのか、ボッティチェッリが勝手に描いたのかは分かっていません。
右端に描かれたこちらを見つめる男性はボッティチェッリの自画像と考えられています。
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