19世紀前半のフランスでは、新聞や雑誌の創刊がはじまり、それとともにジャーナリズムの機運も高まりました。
ジャーナリズムの草創期となる当時に風刺画としてオノレ・ドーミエは活躍しています。
当時は、識字率がまだ高くなかったこともあり、風刺画には大きな需要がありました。
風刺画家として活躍しながらドーミエは何点か油絵を制作しましたが、生前にはほとんど公開されませんでした。
作品 三等車
オノレ・ドーミエは、主に産業革命後のパリの労働者階級の人々の様子を油絵で描いています。
本作品「三等車」は産業革命の象徴ともいえる汽車の一番狭い三等車につめこまれた労働者階級の人々を描いた作品です。
「三等車」
(1862-1864年)
当時は一等から三等と客車がクラス分けされており、三等車は固い木の椅子で車内は乗客でごった返していたようです。
作品は、乗客の気持ちを表すかのように全体的に茶色や黒などの暗い色彩で描かれています。
乗客の表情も暗く描かれているように思えます。
作品の前面に左から母親と乳飲み子、年老いた女性、ぐっすり眠る少年が描かれています。
中央の年老いた女性は疲れた顔で描かれ籠の取っ手を強く握りしめて、視線を鑑賞者に向けています。
左の母親は赤ん坊に優しい視線を向けて、表情も穏やかに描かれています。右の少年はぐっすり眠り夢の中のようです。
前面に描かれた各世代の乗客は人生を表していると言われ、男性が描かれていないのは、これからは女性の時代であることを表現していると言われています。
本作品は同じ登場人物でもう一作品が制作されています。
「三等車」
(1863-1865年)
こちらの作品には、ドーミエの署名が記載されています。
一等車と二等車との連作
本作品「三等車」は木炭と水彩で描いた「一等車」「二等車」「三等車」のうち「三等車」を油彩で描くよう注文を受けて描いた作品です。
オノレ・ドーミエが注文を受けて描いた数少ない作品とされています。
「一等車」
「二等車」
「三等車」
オノレ・ドーミエの風刺画やデッサンはその後、ポスターの作成で有名となるロートレックなどにも影響を与えたとされています。
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