印象派の巨匠クロード・モネが経済的苦境のため移り住んだパリ北西、セーヌ川下流のヴェトゥイユという村で制作した作品「ヴェトゥイユの画家の庭」です。
当時モネを支援していたパトロンが事業に失敗、失踪してしまった為、支援が受けることが出来なくなったモネは、経済的に困窮します。
モネは、それまで暮らしていた家を引き払い、より生活費が安いヴェトゥイユへ移り住みます。
ヴェトゥイユでは、2,3ヵ月の滞在を予定していたようですが、3年間暮らし、300枚程の作品を制作しました。
作品 ヴェトゥイユの画家の庭
ヴェトゥイユへ移り住んだモネ家族のもとには、失踪したパトロン(エルネス・オシュデ)の妻アリス・オシュデと7人の子供も一緒に暮らすこととなり、非常に困窮したようです。
また、1879年にモネの妻カミーユが32歳の若さで亡くなってしまい、モネにとっては苦難な時期でした。
本作品は、そんな苦難の時期から印象派を支援していた画商デュラン・リュエルの支援などから徐々に画家として成功へと向かう時期に描かれた作品です。
「ヴェトゥイウユの画家の庭」
(1881年)
作品内には3人描かれており、ワゴンのそばにいるのがモネの息子ミシェルだとされています。
階段の途中に描かれている2人は、オシュデ家の子供2人もしくはアリス・オシュデとオシュデ家の子供一人と言われています。
庭の小道の脇にはヒマワリが咲き乱れ、小道は邸宅の上の青空に向けて続く道のように描かれており、苦難が続いていた当時のモネが希望を捨てずに作品制作を励んだ状況を描いているようにも思えます。
モネは、同じような構図で他に3作品制作しました。
「ヴェトゥイウユの画家の庭」
(1881年)
「ヴェトゥイユの庭」
(1881年)
「ヴェトゥイユの庭」
(1881年)
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