印象派の代表的画家クロード・モネがサロン・ド・パリへはじめて出品した作品の一つ「オンフルールのセーヌ河口」です。
まだ、印象派の特徴となる筆触分割などを確立途上のキャリア初期の作品です。
ちょうど、大スキャンダルとなるエドゥアール・マネの「オリンピア」の隣に展示され、マネとモネと名前が似ていることからマネは、自身の名前を利用されていると勘違いして憤慨したと言われます。
マネの誤解はすぐ解け、後にマネはモネを度々支援することとなります。
オンフルールとは、フランスのノルマンディー地方の港町で、モネは友人である同じく画家のバジールと訪れていたようです。
また、オンフルールはモネに戸外制作を教えたウジエーヌ・ブータンの生まれた町でもあります。
作品 オンフルールのセーヌ河口
友人バジールと訪れた港町オンフルールを描いた作品で、モネのサロン初出品作品。
「オンフルールのセーヌ河口」
(1865年)
まだモネが印象派と呼ばれる以前のキャリア初期の作品で、モネの特徴でもある筆触分割の確立途上のような描写です。
後にモネは水面に映る光の描写を筆触分割で表現していきますが、本作品ではまだ見られていません。
(参考)「アルジャントゥイユの橋」
(1874年)
本作品では、濁った海面と雲の合間の青空が対比されています。
海面には多くの船が描かれていますが、一艇だけ陽を浴びている様子が描かれています。
画面では、青空による視線の誘導先と、陽を浴びている船が対になって左右のバランスがとられています。
本作品は、モネのサロン初出品作品ですが、比較的良い評価を受けています。
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